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仙台市政だより 2017年7月号

伊達正宗公生誕450年シリーズ 第四回 仙台藩のまちづくり②

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宮城県仙台市 クリエイティブ・コモンズ

東京スリバチ学会会長 皆川 典久

●城下町仙台の立地と地形
伊達政宗公が慶長6年(1601年)に岩出山から居城を移し、城下町を開いた仙台の地は、立地と地形にある特色がありました。まず立地については、広瀬川の中流に位置していたという点です。なぜなら当時の大城下町の多くは、海沿いの河口に立地していたからです。その頃の物流の主流は舟運であり、城下町の経済活動を支えるためには水運の利は不可欠だったのです。
そして地形についてですが、城下町として選ばれた土地は、海岸平野に比べ一段高い河岸段丘地でした。仙台は広瀬川が形成した台原・上町・中町・下町という四つの段丘面を持ち、上町台地と中町台地の段丘崖(だんきゅうがい)は今でも勾当台公園の中に残されています。

●地形を生かした町づくり
海岸平野の平低な地が選ばれなかったのは、洪水や津波などの自然災害から町を守るためでしょう。実際に慶長16年の大津波の難も免れました。臨海性に乏しい欠点は、貞山運河や御舟曳掘(おふなひきぼり)などの水路網を構築し克服に努めました。しかし、段丘の町では生活に必要な水の確保に苦労を要しました。城下を流れる広瀬川は高い崖を連ね、直接の利水が困難だったからです。
政宗公は町づくりの一環として街道整備と共に、広瀬川の水を上流部(郷六村)で堰(せき)分け、城下へと導く四ツ谷用水の建設に着手します。仙台の河岸段丘地形は南東に傾斜を持っています。土地の勾配を生かしながら自然流下による四ツ谷用水の水路網が城下町に築かれ、町中堀とも呼ばれました。堀を流れた水は生活用水や消防用水、農業用水、そして水車などにも利用され、町の発展に寄与しただけでなく、梅田川を介して御舟曳堀に補水し、仙台独自の広域な水のネットワークを形成したのです。

●杜の都を育んだ地形と水
城下町に導かれた水は思わぬ効果をもたらします。河岸段丘ゆえ地下には広瀬川の置き土産とも言える段丘砂礫(されき)層が存在し、町中堀を流れた水が砂礫層に浸透して浅層(せんそう)地下水を補ったのです。城下町仙台は近世の他の都市に比べると武家屋敷の割合が多い特色を持っていましたが、豊かな地下水は屋敷林の繁茂を促す効果もあったとされます。古来「杜の都」とも称される緑豊かな原風景が育まれたのも、地形と水が関係していると言えそうです。

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